読むJ-POP 2009

小室哲哉逮捕・衝撃のニュースに。


田家秀樹さん

田家秀樹さん (0)

2008/11/08 19:06

  まさか、こんなことがと思われることがある日突然やってくる。
 仮にそうした現象を天災と呼ぶとしたら、彼はかつて天才と呼ばれた男だった。
 というような意味不明の枕でも書いてみたくなるほどに何とも呆れてしまうようなニュースが飛び込んできたのは、火曜日(4日)の朝だった。
 小室哲哉逮捕ーー。
 あの知らせである。

 細かい数字はこの際週刊誌に任せておこう。彼が何枚CDを売って、年収がいくらあったかをあげつらうことにもはや大した意味はないかもしれない。その栄光が際だっていればいるほど、あの報道とのギャップが面白おかしく取り上げられるということになるのだとも思う。
 とは言うものの、これだけ光と影が極端に交差した出来事は日本の音楽界始まって以来だろう。

 理由がどうであったかとか、彼の性格であるとか、暮らしぶりということよりも、彼が輝いていた時代を思うと、あまりにも象徴的だった気がする。
 小室哲哉の時代、というのが確かにあった。
 そして、彼のそこから現在に至る軌跡というのは、まさにあの時代の後遺症のように思えてならないのだ。

 小室哲哉が、TMネットワークを結成したのは1984年だった。
 TMネットワークは、いくつかの点で画期的だった。
 一つはもちろんコンピューターである。甲斐バンドからBOO/WYへとバンドシーンの主軸が移ってゆく時だ。同じ8ビートでも重い肉体感が特徴だった甲斐バンドと思い入れを排したようなタイトなBOOWYのビート。それをアナログ的とデジタル的と例えるならば、TMネットワークは、デジタルそのものだった。
 コンピューターを使ったダンスポップス。彼らの前にはYMOがいた。

 小室哲哉が、95年に彼がプロデユースしていた人たちを集めて行っていた「TKダンスキャンプ」というイベントにYMOだった坂本龍一が出たことがある。一緒にYMOの「BEHIND THE MASK」を弾くシーンは、その両者が決して無縁ではなかったことを物語っていた。
 ただ、YMOは、あくまでも実験的なスタンスを失わなかったし、それは”遊び”として集約された。
 TMネットワークは、そうではなかった。
 最初からメジャーシーンのど真ん中にいた。

 彼らが画期的だったことのもう一つは、デビュー時にライブよりヴィデオデビューというバーチャルなスタイルを取ったことだろう。
 それは、彼らがイメージするライブが壮大過ぎてコスト的に実現不可能ということもあったのだろう。初めて見た日本青年館のライブはコンピュターと同期した、見事なものだった。時にはパントマイムなどの肉体性を交えつつ、エレクトリックなダンスポップショーというスタイルを確立したのは彼らの功績だった。

 話を急ごう。
 TMネットワークが成功していった時代は、そのまま日本が豊かになっていった過程と重なり合う。
 彼らが旗印の一つにした”DANCE”というキーワードは、ヨーロッパ発の弾津ビート、ユーロビートと結合する。そこにエイベックスという新しい勢力が介在したことも時代の必然だったのかもしれない。
 94年のTMネットワーク改めTMNの解散から先のことはもう説明の必要もなさそうだ。

 90年代終わり頃だろうか。
 音楽業界に”小室バブル”という言い方があった。
 ”TK”というイニシャルさえあれば売れた時代が確かにあった。
 その頃の彼のインタビューで印象的だったのは、”皿回しの論理”というものだ。
 皿回しの芸人の極意というのは、一枚のお皿の勢いが失われないうちに次のお皿を回すというその連鎖反応の相乗効果だと言うのである。

 一つのお皿の勢いがあるうちにそれを次のお皿に伝え、お互いを活性化してゆく。
 彼はそうやって、大ヒットというお皿を回していった。勢いの連鎖の頂点が”バブル”と揶揄された時だったことになる。
 それは、今思えば株の売買や投機で一攫千金の億万長者が誕生してしまう金融資本主義に似ている。
 勢いは止まり、全てのお皿が止まってしまい、バブルが破綻した。

 それにしても、と思う。
 確かにポップミュージックには”金の匂い”がつきものだと言って良いだろう。
 一人の才能が莫大な利潤を生み、そこにいくつもの企業が絡み合ってくる。小室哲哉が80年代に始めたことは、時代を先取りした発想とそれを形にしてゆくという”作品性”と”商品性”とを一致させてゆく過程でもあったのだと思う。
 彼の中で、どこかから”作品性”から”商品性”に全面移行した時期があったに違いない。回しているお皿の上に”作品”ではなく”商品”が載るようになったのは、いつだったのだろうか。

 彼の逮捕を聞く少し前、小林武史のインタビューがあった。
 彼は、Mr.Childrenやレミオロメンのプロデユーサーであり、apbankの主催者でもある。11月26日には、映画音楽やドキュメンタリー番組の主題曲を集めたインスツルメンタルのソロアルバム「WORKSⅠ」が出る。
 小林武史にとっては、小室哲哉と並べられることは不本意だろうが、改めて二人の違いについて考えてしまったのだ。

 彼は、「WORKSⅠ」を”音楽人としての原点”と呼んだ。プロデユースのように人を介在しないで、音楽と向き合う作業の結果ということになる。それは、繊細で透明な邪念を感じさせない作品だった。活動が多岐に渡っているからこそ、”ソロ”に還る。それは清々しいアルバムになっていた。
 小室哲哉の原点はどこに行ったのだろうと思う。
 それが見えなくなったのは、どこでだったのだろうか。
 見えなくしたのは、誰だったのだろうか。

 一つの時代の終わりーー。
 それが2008年だったことは、偶然ではないのだと思う。
 リーマンブラザース証券破綻に象徴されるアメリカ主導経済の終焉。お金がお金を生むというバブル的連鎖の終わり。音楽に求められているものや聞かれ方も変わってきている。

 とは言え、彼が残した名曲達には罪もなければ、その輝きが褪せることもない。彼の不祥事を理由に彼の作品が葬られるようなことだけはあってはいけないと思う。
 彼が、再び音楽の世界に復帰し、細々と廻し始める小さなお皿に、素晴らしい作品が載っていることを願うばかりだ。


 

 


 
 
  
 
  

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コメント (3)

ナルシストさん

ナルシストさん (3)

2008/11/09 11:25

 たまたま子供と見た「逆襲のシャア」というDVDのエンディングテーマがTMネットワークだった。時代を感じさせるとともに、小室の時代は確かにあったのだなあと感心してしまった。


 ほとんど聴かなかったJ-POPを聴き出したのはたまたま見た「ポップジャム」という番組のジュディマリの「OVER DRIVE」を見てからだった。それから、あらゆるジャンルのJ-POPを追いかけたので、もろに小室時代と重なることになった。好きな音楽は、とことん反・小室的だったような気がするが、グローブの「デパーチャー」やら心に引っかかるものは多数あった。ただ家に残るCDやMDには小室の作品は一枚もない。

 田家さんの書いた小室論で一番共感できるのはやはり最後のところ。小室が作った名曲の数々がこの事件で色褪せることはないはずだ。

 ただ今思い浮かべる中で、すぐに思い出せる名曲は小室バブル前の作品で渡辺美里の「マイレボリューション」、あっとこの作品が入ったMDだけは持っていた。今から探して聴いてみることにしょう。

 

ヨシ様さん

ヨシ様さん

2008/11/11 02:45

「時代に選ばれた者は時代に捨てられる」といったことなのか。惜しい才能ですので復活を期待します

田家秀樹さん

田家秀樹さん (0)

2008/11/16 18:55

ナルシストさん、ヨシさん、ありがとうございました。残念ながら、彼のプロデユース曲は、ラジオ曲は自粛ムードです。作品には罪がないと思うのですが..。



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