30球団ルーキー・ウオッチング

ターナー・フィールド(アトランタ・ブレーブスの本拠地)


友成那智さん

友成那智さん (0)

2007/09/13 19:16

◆球場データ

所在地:ジョージア州アトランタ
オープン:1996年7月19日アトランタ五輪で使用するため「センティニアル・オリンピック・スタジアム」としてオープン。五輪終了後に改装し1997年「ターナー・フィールド」として再オープン
球場様式:オープンエアの天然芝球場
球場のタイプ:ニュートラルパーク
<ホームからの距離>

 

<フェアテリトリーの面積>
1万600平方メートル(11万4000平方フィート)広い
<ファウルテリトリーの広さ>
平均レベル

収容人員:5万91人
芝:天然芝(GN-1という種類のバミューダ芝を主体にブレンドした芝を使用)
芝の長さ:平均レベル
ダグアウト:ホームチーム一塁側、ビジター三塁側
外野フェンスの高さ:2・4メートル
<自然条件の特異性>
大きな特異性はない
<形の特徴>
外野が広く、とくに右中間が深い 

◆有利なタイプ・不利なタイプ

(◎=とくに有利、○=有利、△=不利、▲とくに不利)
<有利なタイプ>
◎守備範囲の広い強肩のセンター(アンドリュー・ジョーンズ)要因:センターの守備領域がたいへん広い
○強肩のライト(ジェフ・フランクーア)要因:深い右中間
<不利なタイプ>
△守備範囲の狭い外野手(02、03年のチッパー・ジョーンズ)要因:レフトが深い
△右のプルヒッター(アンドリュー・ジョーンズ、03年のゲーリー・シェフィールド、ビニー・カスティーヤ)要因:レフトが深い
△フライボールピッチャー(ラファエル・ソリアーノ、チャック・ジェイムズ、バディ・カーライル)要因:外野が広いためポテンヒットが出やすい

◆データが示す球場傾向

ターナー・フィールドにおけるここ3年間の打撃データ(04~06年、大リーグ全30球場の平均値との比較。例:得点-1%は得点が平均値より1%少ないことを意味します)
04年  得点-1%  本塁打+13%  安打-3%  二塁打-6%
05年  得点+10% 本塁打-12%  安打+6%  二塁打+12%
06年  得点-5%  本塁打-7%   安打+3%  二塁打-0%
(ESPN com. MLB-ballpark factorの数字をもとに作成)
データから読み取れること
・目立った特徴が読み取れない有利不利のない球場

◆ホームチームの野球スタイル

ブレーブスの野球スタイル:ビッグボール
ボビー・コックスは大リーグを代表する監督のひとりだが機動力を使うことには消極的。とくにヒットエンドランはめったにやらないことで知られる

◆ターナー・フィールドにまつわるエピソード

(1)ターナー・フィールドで華々しくメジャーにデビューした松井稼頭央
この球場で最も記憶に残る活躍をした日本人選手は松井稼頭央だ。04年鳴り物入りでメッツに入団した稼頭央は、この球場で行なわれたブレーブス対メッツの開幕戦にトップバッターとして出場。ゲーム開始直後に前年度21勝のラス・オーティズが投じた高目の速球をセンターに弾き返すと、打球は追い風に乗ってぐんぐん伸びてスタンドに飛び込んだ。第2打席でも2死二塁の場面でライトに鋭い当たりの二塁打を放って2打点目をマーク。3打席目は2死満塁の場面でオーティズをリリーフしたホアン・クルーズから押し出しの四球を選んで3打点目。さらに4打席目ではセンターにこの日2本目の二塁打を放った。この凄まじいばかりのバッティングにブレーブスベンチは恐れをなし2死二、三塁の場面で巡ってきた5打席目は稼頭央を敬遠の四球で歩かせたため、この日は3打数3安打(本塁打1、二塁打2)、3打点、出塁率10割という凄い数字で、稼頭央に対するメッツファンの期待は一気に高まった。しかし目立ちすぎたため、すぐ対戦チームに研究される結果になり、開幕から2週間ほどは打率3割をキープしたものの、その後はずるずる打率が低下。守備面での気苦労が重なって打率が再び3割に戻ることはなかった。

(2)テッド・ターナーの名を冠した常勝軍団ブレーブスの城
大リーグに人名を冠した球場が7つあるが、その中には、なぜこんな人物の名前を冠する必要があるのか理解に苦しむものがある反面、すぐに納得がいくものもある。その代表格がこのターナー・フィールドだ。

ターナーという名前は、アメリカにケーブルテレビ革命をもたらしたブレーブスの元オーナー、テッド・ターナーを記念して付けられた名称だが、この人物ほどチームにユニークな形で貢献したオーナーはいないといっていい。76年にブレーブスを買収するとターナーは自分の所有するケーブル局でブレーブスの全国中継を開始。77年には、最下位を低迷するチームの不甲斐なさに業を煮やして自らユニホームを着て監督としてベンチ入りし、実際に采配を振るっている。この破天荒な行いはコミッショナーの怒りを買い、「ターナー監督」は1試合で終わったが、大リーグの正式記録にもテッド・ターナーの名は、ブレーブス歴代監督のひとりとして記載されている。それほど、チームを強くしたい気持が強かっただけにターナーはその後もオーナーとしてブレーブスを強くすることに力を注ぎ常勝軍団に発展させている。

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