30球団ルーキー・ウオッチング

ペトコパーク(サンディエゴ・パドレスの本拠地)


友成那智さん

友成那智さん (0)

2007/07/27 17:20

◆球場データ

所在地:カリフォルニア州サンディエゴ
オープン:2004年4月8日
球場様式:天然芝のオープンエア球場
球場のタイプ:典型的なピッチャーズパーク
<ホームからの距離>

フェアテリトリーの面積:公表データなし。かなり広い
ファウルテリトリーの広さ:狭い
収容人員:4万2445人
芝:天然芝(芝の種類は不明)
芝の長さ:平均レベル。手入れがよくイレギュラーバウンドが少ない
ダグアウト:ホームチーム一塁側、ビジター三塁側
外野フェンスの高さ:公表データなし(高さは一定ではないが3~4メートルくらい。レフトポール際のウエスタン・メタルサプライ社のビルが食い込んでいる部分のみ10メートル以上の高さがある)
<自然条件の特異性>
特になし
<形の特徴>
(1)外野が広い
(2)右中間がとくに深い
(3)フェアテリトリーが広いのに対しファウルテリトリーがかなり狭い
(4)レフトポール際にウエスタン・メタルサプライ社のビルが食い込み建物の壁が外野フェンスになっている
(5)外野フェンスが全体的にトリッキーな形になっていて、しばしばクッションボールが予期せぬほうにバウンドする

◆有利なタイプ・不利なタイプ

(◎=特に有利、○=有利、△=不利、▲とくに不利)
<有利なタイプ>
◎フライボールピッチャー(クリス・ヤング、スコット・ラインブリンク、トレバー・ホフマン)要因:広い外野
◎守備範囲の広い強肩の外野手(マイク・キャメロン、ホセ・クルーズ)要因:広い外野○新人投手-要因:失投が本塁打になりにくい
<不利なタイプ>
▲左のパワーヒッター(ブライアン・ジャイルズ、エイドリアン・ゴンザレス、04年のライアン・クレスコ、)要因:ライト~右中間がとくに深い
▲フライボールヒッター(カリル・グリーン、06年のマイク・ピアッツァ)要因:広い外野
△肩の弱い外野手-要因:広い外野
△守備範囲の狭い外野手-要因:広い外野

◆データが示す球場傾向

ペトコパークにおけるここ3年間の打撃データ(04~06年、大リーグ30球場の平均値との比較。「例:得点-16%」は得点が全30球場の平均より16%少ないことを意味します)
04年  得点-16% 本塁打―31% 安打-10% 二塁打-10%
05年  得点-20% 本塁打-25% 安打-10% 二塁打-17%
06年  得点-14% 本塁打-2%  安打-9%  二塁打-9%
(ESPN com. MLB-ballpark factorの数字をもとに作成)
データから読み取れること
・本塁打だけでなくシングルや二塁打も出にくい打者に極端に不利な球場

◆ホームチームの野球スタイル

パドレスの野球スタイル:抜きん出た投手力で競り勝つ守りの野球
ペトコパークに移った04年以降、パドレスは投手力に重点を置いた補強で先発ローテーション、ブルペンともメジャー屈指の陣容を誇るようになった。打線の方は「中の下」レベルの得点力だが「特上レベル」の投手力を擁するため、それまでとはうって変わって、勝ち越すのが当たり前のチームに変身した。投手力主体のチームだけに、監督のバド・ブラックもメジャーでただ1人、投手出身の監督だ。

◆ペトコパークにまつわるエピソード

(1)ペトコパークがWBCのメーン会場になったのは「日本対策」
ペトコパークはワールドベースボール・クラシックの準決勝と決勝の会場になったので、我々日本人にもなじみのある球場だ。準決勝、決勝だけこの球場で行なわれたのは、アメリカチームの優勝に有利に働くという読みがあったからだ。アメリカの優勝をゆるぎないものにするには最大のライバルである日本をたたく必要がある。アメリカが日本を仮想敵国と見なしていたことは、巨人軍で活躍し日本の野球をよく知るデーブ・ジョンソンとレジ―・スミスをベンチコーチと打撃コーチに起用したことを見ても明らかだ。それだけでなく、準決勝ないし決勝で日本と当たることを想定して球場も、打線の主力が左打者に偏っている日本チームが不利になるよう「左のパワーヒッターの地獄=ペトコパーク」にしたのだった。しかし、ここまで周到に準備したにもかかわらず、アメリカチームは、2次予選リーグでまさかの敗退。努力は水泡に帰した。
 

(2)ペトコパークにこだますヨッシャー! サンディエゴのファンに愛された大塚晶則
03年11月、パドレスは新球場ペトコパークに移転するのを前に大リーグ行きを希望していた大塚晶則(当時中日)を獲得。大塚は大リーグのマウンドで投げ出すと、抜群の制球力とタテ・スラを効果的に使ったピッチングで瞬く間にトップセットアッパーにのし上がった。人柄のいいこととユーモアのセンスがあることで知られる大塚は、たちまちチームの人気者になり、チームメートたちが「ヨッシャー」の掛け声を真似しはじめた。それをメディアこぞって報じたため「ヨッシャ―」はファンにも広まり、大塚は一躍ペトコパークの人気者になった。投球面でもペトコパークでは好投が続きパドレスにいた2シーズン、ロードでは3勝10敗1セーブ(防御率3・56)という数字であるのに対し、ペトコパークでのホームゲームでは6勝0敗2セーブ(防御率1・69)という目を見張る成績を残している。大塚は05年12月にトレードでレンジャーズに移籍することになるが、その4カ月後の06年3月にペトコパークで行なわれたWBCの決勝では自分のテーマ曲がなる中で、ひときわ大きなファンの拍手を受けながらマウンドに登場し、ゲームを締めくくっている。
 

(3)主力選手の圧力で2メートル前に移動した右中間フェンス
本拠地がペトコパークに移って一番ダメージを受けたのはパドレスの左のパワーヒッターたちだ。毎年本塁打を35本前後打ってきたブライアン・ジャイルズは04、05年の2シーズンで38本しか打てず、同じく30本前後打つのが当たり前だったライアン・クレスコも04、05年の2シーズンで27本に激減。これだけ球場の広さがマイナス要因になると、当然彼らに不満も募る。そうした声を受けてパドレスは06年のシーズンを前に右中間の一番深いところのフェンスを7フィート(2メートル13センチ)前に動かして彼らに不満を静めたが、ジャイルズ、クレスコとも、それまでの無理がたたって腰を痛めていたため、右中間だけ少し前に出たくらいでは何のメリットもなかった。

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