冒険教授・後藤新弥の「おやじ冒険談」

冒険教授 真夜中の阿寒湖を歩く


後藤新弥さん

後藤新弥さん (1)

2009/03/15 18:21

真夜中、満月の阿寒湖を歩いたが、ヒグマににらまれて? <野生に返そう、北方領域>

湖上の夜が更けていく。
まるでその音が聞こえるような湖上の静けさだ。
ときおり北東から風が吹き付けるが、寒くはない。
すでに3月、北海道とはいえ、こういう暖かい夜もあるのだろう。気温は氷点下3、4度だろう。
鼻水が凍らない!
さぞ☆がきれいだろう、空から北斗七星が降ってくるのでは? などと期待していたが、
それは裏切られた。
満月である。
明るくて、中空の☆は全く見えない。
真上から照明器具で照らされているような感じである。
全面凍結。
湖の真ん中に、白い道ができている。
スノーモービルが踏み固めた道だ。
こちこちに凍っているが、表面には薄く雪がのっているので、歩きやすい。
スノシューも不要だ。
まっすぐな白い、広い道が北西の対岸まで伸びている。
まるでアラスカのアイスロードのようだ。
日本最強の細工リスト、戸田正人さんが数年前に北極圏まで自転車で個人TT(タイムトライアル)をやったが、その時の話を思い出す。石油を積んだトラックとでも行き会いそうだ。

釧路から車で50分。真冬の阿寒湖に行く機会があった。
昨年の夏、アイヌの丸太船(カヌー)に試乗させてもらおうと、数日間滞在した。
温泉街だが、近年は新しい「滞在型のアウトドアの基点」として注目されている。
雄阿寒、雌阿寒のけっこう歯ごたえのある山、湖、そして森。
阿寒の魅力は奥深い。
では真冬はどうだ? スノシューであつこち出かけたらきっとおもしろい。いやそれだけではもったいあない。夜も☆を見たり、小動物の足跡を探しに森の中に入ったら、きっと家族ぐるみで楽しめるーー
そんな提案を、地元の観光協会にした。
「では冬にも来てみてください」。そう言われて、招かれた。
都会人が偉そうにアイデアを出すのは、滑稽でもある。
阿寒ではすでに毎晩8時10分から花火を打ち上げて、氷上ナイトショーをやっていた。
凍てつく夜だが、「零下何10度でさあ」と、いい土産話になる。
大自然を遊び尽くすには、相当の根性が必要だ。

けれど、夜中に湖を渡る、というアウトドア企画は、まだやっていないと聞いた。
「危ないですよ、とにかくどこに湯壺があるか、わからない。落ちたらそれまで、氷の下に潜り込んだら助けようがないですから」。
地元の人に諭された。
「どうぞ、おやんなさい」と言われたら、面倒くさくなってやめるのが普通だ。
「やめなさい」と言われれば、「ようし、おれがやってやる」という気持ちになる。
「なんで阿寒湖があかんのや」。この辺りが冷静さを欠く「おやじ冒険」の核心部。
だから、夕ご飯のあと、友人たちがホテルのバーに出かけた後で、旅支度。
こっそりと裏口から出て、目の前の湖上に出た。
出て、すぐ後悔した。
湖畔は凍っていて、つるつる滑る。
滑る上に、どこが「安全な湖上の通り道」か、その辺りは無数に足跡やスノシュー跡が入り乱れて、判然としない。うろうろしていたら、明らかに「危険、通るな」を意味する旗が立っている箇所にぶつかった。夜目にも、川のような、光りかたの異なる流れが見える。
「ここにはまりこんだら氷が裂けるのだろう」と思うから、迂回する。その迂回路が長い。
昼間なら簡単に「こっち」「あっち」が分かるが、夜は変な反射があるから、判断に迷う。怖いばかりで決断ができない。

地元で言う「湯壺」とは。
阿寒湖畔には豊かな温泉が湧き出している。
それが、時として湖の中からも噴き出す。氷も溶ける。逆にそこで釣りができる。
問題は、「湯壺は移動するし、土地勘がないといきなりでっくわして、落ちることがある」ことだ。
いくら湯壺とはいえ、落ちたら「ああ、いい湯だな」とはいかない。
実は、アラスカのマッキンレーに植村直己さんが挑戦したとき、クレバスに落ちるのを防ぐために、青竹を日本から持ち込み、腰に結わえて歩いた話を以前に聞いた。
物干しさおを探したのだが、見つからなかった。

いつまでもうろうろしているわけにはいかない。夜が明ける。
おっかなびっくり、そろそろと「川」?を渡った。怖かった。
けれど、いったん「湖上ハイウエー」にでてしまえば、まさに快感。
凍てつく満月を無人の湖上で独り占めである。
温泉街の光を遠く後にして、ずんずんと進む。
砂漠もすてきだろう、山もいい。でも凍った湖のど真ん中から見上げる月は、またひと味違う。
こんな贅沢をした人は、そうはいない。こいつあ、相当に自慢話になる。帰ってから、「どうだい」とひけらかそう。
実に、愉しい湖上ウオークだ。
それが。

対岸まであと300Mを切ったろうか。
スタートしてから50分、4KM近くあるいてきた。
湖北西部の岸、西に切れ込んだ入り江の淵にさしかかったとき、
「誰かに監視されている」
という、あの特有の感覚が突然体の中にわき上がった。
こんな夜中だ、人はいない。動物はいるだろうが、ヒグマはいないーーはずだ。
クマは夜も動き回るが、今は冬眠中だ。
では何だろう。何かに見つめられている。にらまれている。
そういう本能の信号が、突然そこで強くなった。
「なにだか分からないが、、やばい。止まろう」。
だれだって「対岸まで行った」と言いたい。どうせなら、きりのいい自慢をしたい。そういう「自我」の欲望と、「帰れ」という本能の直感が自分の体内でぶつかっている。
おやじは、引き返した。賢いからではない。憶病で、実は小心者だからだ。夜中に湖上を歩くなんて事も、実際は昼間にそれとなく何度も状況を確認し、馬鹿っぱなしの合間に、地元の人からいろいろな情報を集めていた。「これなら行ける」と確信したからこそ、凍り付いた湖のど真ん中で満月を楽しんだのだ。恥ずかしいほどの小心者なのである。

足早に引っ返した。
対岸から離れると、心が平静を取り戻した。
「ほとんど対岸」までは行ったのだ。むろん、単独だ。
たいした冒険だ、と自分も思う。思うと、愉しくなる。月が明るさをさらに増した。途中で、仰向けに寝ころんでみた。なんていい気持ちだ。

翌日、地元のガイドさんにその話をした。
「それはよかったね。このあたり、ヒグマは冬眠しないんだ」。
えっ?
「阿寒のあたりは大自然がそのままに残っていて、獲物も豊かだ。だから冬眠の必要がない。冬も行動する。夜も動く。ちなみに、一定の縄張りに定住するのがメスと子。オスは長い距離を移動する。移動している最中に余計な刺激を植えれば、腹が減っていなくても反応することはある。湖上では遮蔽物もない。対岸までは行かなくて正解だったでっしょ。そういう直感は大切にしないとね。どこかでヒグマがにらんでいたのかも」。
はあ。
へなへなとなった。

阿寒湖の北側は、今は保護管理されていて、一般の観光客は通れない。林道が湖畔に沿って走っているが、ゲートが閉められている。阿寒湖は、珍しくも「一周」ができない湖だ。
そのことに、おやじは不満だった。「なぜ通さない。一周できない湖なんて、おもしろくない」。
しかし、この夜の体験で考えが変わった。
湖の北は、人間の領域ではない。野生の王国なのだ。
南は、山も森もある。温泉もある。
それなら、北側は彼ら野生の王国として、もっと明確に「返して」しまったらどうか。呼び戻そう、北方領土。野生に返そう、(阿寒の)北方領域。
阿寒は、一周できない湖として、特徴的なのだ。
いずれ、イエローストーンのように、プロのガイドが限られたツアー客を案内するシステムを導入するのも一手だろう。なんでもかでも、人間がすべての地域に入り込む必要はない。
阿寒に、勉強させてもらった。
阿寒は、大きくて、おもしろい。

 

 

 

 

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