後藤新弥の「おやじ冒険談」

<スポーツ&アドベンチャー!>三宅島で1周32キロのサイクリング


後藤新弥さん

後藤新弥さん (1)

2008/06/06 12:53

 火山ガスの影響で立ち入り禁止区域はまだあるが「なあに、これも生の地球の息吹ですから」という島の人の言葉が新鮮だった。空路も復活したというので三宅島(東京都)へ飛び、1周約32キロの周遊道路のサイクルツーリングに挑戦した。14、15日にはここで「ツール・ド・ジャパン」第2戦も行われる。起伏の連続、思いのほかハードなコースだったが、自然と闘いながら「共生」を目指す島の姿に勇気をもらった。

まさに生の地球に出会う島。東側の名所「ひょうたん山」の火口付近を駆け抜けた(長谷川文撮影)


今も続く闘い

ここがヒルクライムコース。海岸沿いはこう配はきつかった 島の南西部、阿古(あこ)地区をスタートして、海岸線を一気に駆け上った。14、15日のレースではヒルクライム3・5キロレースの舞台にもなる急坂だ。上るにつれて沖合10キロ、湘南のえぼし岩に似た三本岳の岩が見えてきた。けれど他に陸地の影はない。「太平洋の島だ」の実感が汗とともに体からわき上がる。
 羽田から南南西に180キロ、空路30分余り。伊豆七島のほぼ真ん中にある。
 00年、火山活動が活発化して全島避難した。帰島開始は05年、火山ガスの影響は若干残る。風向きのせいだろう、ピッチを上げて西の海岸線に回り込むと、熱くなったのどにピリッと刺激が来た。スピーカーが、ガスの状況を刻々知らせている。3800人中2900人が戻ったが、闘いは今も続いているのだ。
 その島を1周する。観光サイクリストにはちょっとした冒険だ。


こう配と強風

 1周32キロ。「何だ、飛ばせば1時間だ」と軽く考えたが、とんでもない。2車線道路は整備も行き届いて走りやすいが、海岸線に沿って小刻みでしたたかなアップダウンが連続する。最大こう配は10%。向かい風になるとけっこうきつい。
 和やかな集落を通ると思えば、荒々しい火砕流跡や、ガスにやられた白い樹林の真横を駆け抜ける。東側の赤場焼噴火跡(通称ひょうたん山)が珍しくて1度戻って走り直すとハワイからの? 強風に、借りてきた名車「アマンダカーボン24インチ」がぐらついた。
 岬を回るごとに景色が変わる。ガスの濃い地区では住めなくなった家屋が災害のつめ跡をさらしているが、南側へ回ると木々の緑が空の青さと競い合い、野鳥の声が豊かに響く。これほど変化に富んだサイクリングは初めてだ。
 父親の自転車で見知らぬ町へ遠乗りした、少年の日の興奮がよみがえる。
 「三宅島は昔から火山と共生してきた島なんです」。役場で、観光振興課の堀部崇夫主事(26)が話していた。火山と闘う日もあるが、共にも生きる。手付かずの、生の自然に出会える島だ。


思わぬ再会が

以前ダイビングを習った川本さんが、阿古の港で船にペンキを塗っていた 阿古の港に立ち寄ると、屈強な男が船体を元気なピンクに色に塗っていた。なんと4年前、おやじがダイビングの手ほどきを受けたスクール「べたなぎ」(電話04994・5・0366)のインストラクター河本起世久さん(60)だった。
 「95年にこの阿古で家屋も手作りでスクールを開いたが、全島避難で仕方なく伊豆に移った。ようやく戻ってみればアルミ部分がガスにやられて、家も半壊。一からやり直しになった。でも今は島にもお客さんがどんどん戻り始めている。火山の顔色ばかりうかがってはいられないからね(笑い)」。今は週末は伊豆、平日は島を行き来する。



懐かしい昭和

夕日を浴びながら、名勝メガネ岩 三宅村の平野祐康村長(60)は言う。「大資本を導入して劇的な復興を目指すのも一手ですが、むやみに急がず、我々は島の内側からわき出る力を大切にしながら再興したい」。たくましい島だ。戦後の一時期、昭和の日本にあふれていた復興精神に通じる強さだ。おやじ世代には懐かしい。
 勇気をもらって、名勝「めがね岩」の海岸へもうひと走り。大きな大きな夕日が直接海に落ちるのを楽しんだ後、民宿「かまかわ」(電話04994・5・0143)で汗を流した。風呂のよしず越しに、おかみさん手作りの小さな畑を見た。砂地に、サトイモとネギ。それもまた「あのころ」の昭和の風景だ。
 CGなどでは描ききれない、生の懐かしさ。時間が「いらっしゃい」と会釈しながら、ゆっくりと過ぎていく。帰りは竹芝まで6時間、のんびりと船で帰りたくなった。

 

 

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