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後藤新弥さん (1) |
2008/06/20 15:31
午後6時半、JR目黒駅前。夕闇の雑踏をぬって、男はキックボクシングの名門、目黒藤本ジムへ足を早めた。29日、東京・ディファ有明での4年ぶりの試合が迫っている。負けたら引退だ。いや、とっくに引退していておかしくない年なのだ。ケイゾー松葉(本名・松葉京三)、49歳。プロのキックボクサーとして現役最年長のリングに挑む。練習を見学した。飛び散る汗に武道家の魂を、信念を見た。
仕事に専心
若い練習生に声を掛けた。「スパーリング、できるか」。相手がうなずくと、呼吸を整えながらバンデージを巻き始めた。真剣な目、乱れぬ手先。月末に迫った真剣勝負は、胸の中ですでに始まっているに違いない。リングに上がる時のテーマ曲「上を向いて歩こう」が、耳の中に鳴り響いているに違いない。「いこうか」。立ち上がった。 長い4年間だった。04年9月、当時すでに現役最年長として、引退覚悟でリングに上がった。カウンターを受けてKO負けした。 「やめるつもりだったが、この負け方ではという思いもあったし、もっとやれる、こうやれば勝てると、自分の中に、逆に燃え上がるものを感じた」。 警備会社に勤務。試合の後東京・田町の高層ビルの建設現場を任された。責任者役として2年間、仕事に専心した。「どちらも、半端な気持ちではできないから」。その間父が他界、本格的に復帰の準備を始めたのは昨年の秋だった。 「その途端、右のひざをはじめ、各所に故障が出て」年末の復帰戦をキャンセル。「もうだめなのだろうか」。自分に問いただした。
準備できた
堺市の出身で、空手からキックボクシングへ。冒険サイクリストとしても有名だ。83年から8年間、単身自転車の世界一周に挑戦した。モンブランからサハラ砂漠、星を見て寝た。ある時はストリートファイトで、ある時はぶどう摘みで食費を稼ぐ旅だった。自らは何の名声も求めなかったが、武勇伝は今も語り継がれている。日本アドベンチャー・サイクリストクラブ(JACC)の所属。 旅の途中にタイで修業。帰国後、沢村忠らを輩出した目黒藤本ジムの門をたたいた。これまで26戦6勝(5KO)15敗5分け、最高位はランク2位。 「本当にもうだめなのか、もう1度自転車で試してやれと思い付いた。前回オセアニアを通らなかったので今年1月、オーストラリアに出掛けた。走れたよ。何だやれるじゃないかと、うれしくなった」。 バイクフライデーという20 インチ の旅行車をショップ「アマンダ」で調整してもらい、起伏の激しいコースを1日100キロ以上走った。ニュージーランドを含めて1700キロを走破。心のウオームアップは終わった。 試合準備のために、仕事も比較的重圧の少ない勤務に変えた。それでも「週6日から7日。練習時間がたっぷりあるわけではない」。時間がなければ警備の持ち場でスクワットをすることも。1日、2000回。
左のミドル
スパーリングが始まった。左、右、左。強いパンチで追い詰めていく。稲妻のように前蹴りが入った。汗が飛び散って、星くずのように輝いた。半歩踏み込んで「左のミドル」回し蹴り。ケイゾー伝説の必殺技だ。プロを含めた10数人が、それを見守った。 今度の試合と同じ3分間2ラウンドが終わった。藤本勲会長(66=元東洋ミドル級王者)が相手の選手に「どうだった」と聞いた。「なぜか前に出ることができなかった。射すくめられたようで、動けなかった」。そうだろう、とでもいうように会長がうなずいた。ケイゾーは肩で荒い息をして、笑いもしなかった。 「いつもは勝ってやろうと思って試合に臨んだ。今回は勝つという確信がある。でも、ただ勝つだけでは満足できない。武道家として自分に恥じない試合をしたい」。相手を敬う。姑息(こそく)な勝負をしない。勝敗以上にこだわるものを内側に持つ。選手と武道家の違い。目の肥えたファンにはそれが分かる。会場は圧倒されるに違いない。 1958年(昭33)6月30日生まれ。試合の翌日が50歳の誕生日だ。「年? 実感ないなあ」と笑った。
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