acueの日記

江藤慎一氏 逝く /野球


2008/03/01 18:52

中日、ロッテなどで強打者として活躍、史上ただ1人両リーグで首位打者に輝いた江藤慎一氏が2月28日、肝臓がんのため死去しました。(享年70歳)
気迫をむきだしにするプレーから「闘将」と呼ばれ、1975年には太平洋で兼任監督も務めた。
1964年、1965年には2年連続の首位打者に輝き、王貞治(読売)の三冠王を阻止。

捕手で入団するも、前年引退した西沢道夫が守っていた一塁を守る。
開幕戦から先発出場を果たし、1年目ながらも打率6位の.281、15本塁打84打点13盗塁を記録。
残念ながら新人王は本塁打王を獲得した桑田武(大洋)に敗れる。
だが、現在でもこの84打点は中日の日本人1年目選手の最多記録である。

元々捕手として入団したこともあり、チームの捕手難の事情から1962年は主戦捕手として104試合出場している(通算は175試合)。
捕手として年間規定試合以上(年間チーム試合数の1/2)を記録した選手でありながら、一塁、外野でも年間規定試合以上を記録。

3つ以上の守備位置で年間規定試合以上を記録した選手は多くいるが、捕手というポジションを含むと江藤を含め、たったの3人しかいない。
豪快なイメージとは裏腹に繊細さも持ち合わせた人物でもあった。

【捕手を含め、年間規定守備試合以上を3つ以上のポジションで記録】 ※所属は最終実働
3(捕手、一塁、外野) 辻井 弘(国鉄)
3(捕手、一塁、外野) 山本八郎(サンケイ)
3(捕手、一塁、外野) 江藤慎一(ロッテ)

江藤慎一氏の初出場は1959年4月11日の対大洋戦。
新人ながら開幕戦5番一塁で先発出場し、3打数1安打2打点の活躍、一昔で言う勝利打点がついていました。

1959年4月11日(中日)
大洋 100 000 000 1
中日 100 001 01x 3
勝利-伊奈 努(1勝)
敗戦-鈴木 隆(1敗)

江藤慎一氏のご冥福をお祈りいたします。

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コメント (4)

konoeさん

konoeさん (65)

2008/03/01 20:43

プロのときというより、ヤオハンのときはおぼえています。たしか、西武の岡本もヤオハンでした。


アマチュア野球にも情熱をかたむけられたすばらしい方でしたね

acueさん

acueさん (20)

2008/03/03 08:07

to konoeさん
おはようございます。
70歳はまだまだ若いですよね。
球界全体の発展のために必要な人物だったと思料されます。
まったく残念です。

しんすいさん

しんすいさん (13)

2008/03/03 16:05

ご冥福をお祈り致します。

acueさん

acueさん (20)

2008/03/03 20:32

to しんすいさん

 

ご丁寧にありがとうございます。



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