破滅型ギャンブル記者のナルシスト宣言

伝説松本整2・完全版 /競輪・競艇


2008/10/18 23:59

 第2回は、松本さんの少年のころの話。僕も高校時代はラグビーをしていて、松本さんがやんちゃしていた頃の話と自分に重なって、取材していて一番楽しかったのがこの頃の話だ。ワルをしていた詳細をどこまで書いていいかが原稿の鍵だったが、松本さんは極めてオープンで何を書いてもよさそうだったが、節度あるところまでに留めた。学校にやくざまがいが、ヌンチャクを持って駆けつけ追いかけまわされるエピソードには笑った。


 ラグビーは本当に好きだったようで、なぐられっぱなしだった顧問の先生について語るときは本当に懐かしそうだった。その先生にも取材できたらと思ったが、もう亡くなられたようで、残念だった。でも「俺をなぐっとけば、他の生徒を抑えれるという意図がわかったし、先生のことは本当に好きだった」という言葉には大きくうなずいた。僕も顧問の先生にはよく殴られたが、先生の意図はわかったし、僕が今あるのも、先生のおかげだと思っているからだ。そして同期で入って、何故かみんなやめなかった19人の仲間たちも本当に大切な仲間だったなあと思う。音信不通のやつもいるけど、19人の仲間と濃厚で大切な時期を過ごせたから今を踏ん張れるっていうのはあるよなあ。


 松本さんもその頃一緒に楕円球のボールを追った仲間たちのことを楽しそうに思い出して、会話も弾んだ。ラグビーはあのフライング坂田を輩出した中々の名門校で、練習も厳しく「こんなキツイ練習はもう経験することないわ」と思っていたららしいが、プロになっての自転車の練習の比ではなかったらしい。先輩の八倉さんと出た最初の街道練習で「こらあかん、きつすぎる」と何度も根を上げかけたという。そこで妥協するか、さらに限界を超えてやり遂げられるかが、一流になれるかなれないかの分かれ道なんだろう。

 本紙では掲載されなかった松本さんとラグビーのもうひとつのエピソードも交えて、再掲載する。

 


 ラグビーはいち早く少年を大人にし、大人に永遠に少年の心を抱かせる。
 (元フランス代表主将・ジャン・ピエール・リブ)

 幼いころに両親が離婚して母・光子さんの女手一つで育てられた松本は、早くから独立心の強い、そして我の強い少年だった。環境が彼をいち早く大人にし、大人になっても、少年の頃に感じた心を持ち続けた。
 松本整 人は背中に砂時計を背負っているようなもの、明日死ぬかもしれないという限られた時間の中でいかに有意義な人生を生きていけるかを考えるのは当たり前というようなことは10代のころから友達にもよく言っていましたね。その頃なら、周りから見るとただの生意気なだけの若者だったと思われていたでしょうね。
 京都府立洛北高校では〝空飛ぶウイング〟の異名で世界を驚かせた日本ラグビー史上屈指のウイング坂田好弘(現・大阪体育大学ラグビー部監督)も在籍したラグビー部に所属した。好きなラグビー部の練習はサボることはなかったが、学校の授業にはあまり出なかった。京都の繁華街に出ては、けんか、恐喝、バイクの無免許運転など一通りの〝ワル〟がやる遊びを繰り返した。学校には、けんか相手がぬんちゃくや木刀などの武器を持って乗り込んでくるなど退学の危機を何度も迎えたが、何とか卒業できたのは母親のおかげだった。
 松本整 学校の教師が、母親の職場まで駆け込んできてね。『何とか学校をやめてくれないか』って頼みにきた。でも母親は『ウチの子は学校で退学になるような事件は起こしてない』と突っぱねてくれたらしい。本当に母親には頭が上がらない。やんちゃはしていたけど、悪いことは高い志を持たないことだということを身をもって教えてくれた人だった。
 松本の中学時代、リーゼントパーマにして帰ってきたのを見た母は、その場では怒らなかった。しかし、次の日から「パーマ反対」のプラカードを掲げて、松本が嫌になって1週間でパーマやめるまでシュプレヒコールは続けられた。理不尽なことに対しては断固として意志を曲げない強い人だった。
 そんな母を見て育った松本はバイト先でも店長の息子だからといってサボる年上の人間と衝突するなど、何度も仕事先をクビになった。しかしそれに対して母がしかることはなかった。
 母・光子さんは、87年に64歳で亡くなる。前年には体調を崩し入院中の母親を励ますために、3月に行われたGⅠ日本選手権(ダービー)で親しい記者をつかまえて訴えた。「勝ち上がりで1着を取れたら新聞に取り上げてくれ」と。そして見事に1着となった。
 松本整 入院中で病気と闘っている母親を励ましたかった。新聞でおれは頑張ってるぞって書いてあったら元気が出ると思った。
 母・光子さんの支えもあって退学を逃れた松本が卒業間近に知ったのが、競輪学校だった。母が「実力がすべての世界で、あんたには合ってるんじゃない」と勧めてくれたのが最初だった。それがとんでもない、いばらの道であることはつゆも知らなかった。
 (つづく=敬称略)
      【神田成史】
 
  ◆母子家庭とスポーツ選手 松本は母子家庭で育ったが、コンビを組んだ後輩・村上義弘も幼いころに両親が離婚して母親の手で育てられた。大成したスポーツ選手には、幼いころにひとり親だけで育てられた選手が多い。スピードスケートの清水宏保、ボクシングの辰吉丈一郎、野球の野村克也、大リーグのA・ロッドら思いつくだけでも枚挙にいとまがない。彼らに共通するのは、生まれてから背負ったハンディを自らの手で克服することでスポーツ選手に必要な強靱(きょうじん)な〝ハングリー精神〟を身につけ、勝利を求め続けたことだ。

 ◆松本整とラグビー 京都では盛んなラグビーを松本はこよなく愛した。「監督にはよく殴られたけど、みんなのスケープゴート役で殴られたているのもわかったし監督の人柄も好きだった。ゲームになれば自分で瞬時に判断してプレーしなければいけないし激しさもいい。練習が嫌だと思うことはなかった」と話す。今中学2年生の長男・隆義君が学校のクラブで楕円球のボールを追って奮闘中だ。その話を向けると「まだまだひ弱だね」と息子さんを評するが、ほのかに父親としてのうれしさもにじませた。

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