破滅型ギャンブル記者のナルシスト宣言

伝説・松本整3 完全版 /競輪・競艇


2008/10/18 23:59

 第3回は、松本さんのデビュー時の話である。松本さん自身は大学に行ってラグビーを続けようかなぐらいに考えていた進路だが、母に勧められて競輪学校を受験した。当時の受験人数を調べてびっくりした。やはり凄い競争を勝ち抜いているのだ。技能はまだしも適性受験組がこんなに多いとは思わなかった。

 それだけ身体能力に優れていたことと、一発合格を果たす勝負運はその頃からあったんだと改めて思う。


 原稿の直しは、現役を通じて生涯付き纏うことになる失格や落車がデビュー時から目に付くといった下りを気にされていた。「簡単に失格、落車と書いて欲しくない」と。「それだけ勝負を最後まであきらめずに、勝ちにこだわっ結果なんだ」ということを強調された。やはり自分が戦ってきた競争に大きな誇りを持っていたんだなあとやはり感心して、修正した。

 同期の鈴木勝さんの話も面白かった。現在ケガでリハビリ中んなのに、開催中の奈良競輪場にわざわざ足を運んで取材に応じてくれた。飲みにいってもいつのまにか、女の子をリードしてもてたのは整だったと話されたエピソードなど、若い頃の松本さん像を確かなものにしてくれた。先輩の八倉さんには話を聞けたが、先輩記者が「ライバル心をむき出しにしていた」という同期の山森雅晶さんに取材できなかったのが少し心残りだった。当時のライバル山森さんが松本さんに対してどういう感情を持っていたのか。やはり聴きたかった。それでは第3回を-。

 松本が競輪学校を受験したのはほんの軽い気持ちだった。特別、自転車が好きなわけでもなかったし、競技の経験があったわけでもなかった。母親が「あんたの性格なら普通にお勤めするより実力がすべてのこの世界があってんじゃないの」と勧められて決めた。
 学校は自転車競技経験者が受験する技能試験と、垂直跳びなど運動能力の適性試験で入学させる2つのコースに分かれていた。79年45期の技能受験者は663人中、86人、適性は254人中の24人の枠しかなかったが、体力に自信があった松本は、卒業時に適性で受けて一発合格を果たした。
 松本整 競輪なんて何も知らなかったけど、まずは賞金を調べてみた。一番下のクラスの年収でも当時の高卒の初任給の2倍もあった。だから、若い内にまとまった金を稼いで、その金で商売でも始めたらええわぐらいの感覚だった。
 競輪学校入学当初は慣れない自転車に苦戦したが、持ち前の研究熱心さと度胸の良さで頭角を現し、適性ではNO・1、競技経験者を含めた全体でも14位まで成績を上げた。同期で同じ適性入学で親したかった鈴木勝(53=奈良・現A3班)は当時の松本についてこう語った。
 鈴木勝 学校でも、やっぱり肩を切って歩いていたねえ。生意気だったとは思うけど、僕とは同じ適性入学ということもあって不思議とウマがあってね。僕は大学で陸上をやっていたんだけど、トレーニングについてはいろんな話をした。その頃から研究熱心というか探求心はすごかった。何でも納得しないと練習もやらなかった。強くなると思った。
 同じ京都で山森雅晶(49=現A3班)という同期がいて、在校成績も6位と、デビュー時、近畿で注目されたのは山森だった。松本はライバル心をむき出しにしたと、当時の記者は話したが、本番の競輪の世界ですぐに結果を出したのは松本の方だった。
 80年4月19日デビューの門司競輪で1、1、1位で完全優勝。その年にB級(当時はA、Bの2層制)を突破すると、それ以降は級を落ちることはなかった。当時の最高峰であるA級1班には3年で駆け上がった。成績欄には松本が競輪生活生涯でつきまとうことになる『落車』と『失格』が多いのが目につく。これも松本が常に勝てる位置を目指して勝負した証しだった。当時の練習仲間の先輩として面倒を見ていた八倉伊佐夫(49・現A2班)は当時の松本についてこう話した。
 八倉伊佐夫 競輪学校入学当時から知っているけど、いかにもやんちゃな感じだった。でも練習だけは真面目やった。デビュー時からダッシュやレースセンスは非凡なものがあったけど持久力はなかった。だから先行しても持たなかったし、すぐに先行もしなくなったね。新人は、先行してラインの後ろの人に勝ってもらうような競走をするのが当たり前だったけど、松本は、すぐに勝負圏のある位置を取って勝つ競走にこだわった。落車や失格が多いのもそのせいだろう。とにかく負けるのが嫌だったんだろうね。
 近畿地区ではトップクラスになれたが、GⅠ級のレースで決勝進出を果たせないでいた。3着者までしか勝ち上がれない準決勝で、84年西宮オールスターで4着、競輪祭では写真判定の結果4着と悔しい思いをする。その時の3着が中野浩一。当時すでに世界選手権プロスプリント8連覇中で〝世界の中野〟と言われ、競輪界のスーパースターだった。この中野との出会いが松本を大飛躍へと導くことになる。
   (つづく=敬称略)
     【神田成史】

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