2008/03/23 22:55
久しぶりに書く内容は、ちょっと切ない親子の話である。 私は父親の影響で野球を始めた。球を持ち始めたのは3歳くらいのとき。父が転がしてくれたボールをキャーキャー言いながら取りに行き、手渡しで返す。そのうち投げて返すようになり、キャッチボールが始まった。私はなぜか左利きで、父も矯正しようとはせず、そのまま左投げ左打ちの野球少年が誕生した。必ず土日はいつもいてくれて、キャッチボールやバッティングなどにつきあってくれていた。 少年野球に入部すると父も練習を見に来るようになり、練習を手伝ってくれるようになってくれた。そのうちコーチを要請され、頼みごとを断れない父は野球部のコーチになってくれた。思えばここからが親子の不幸の始まりだった。 それまで全く怒らず、たとえ失敗しても励ましてくれた専属コーチだった父は、野球少年たち全員のコーチとなった。他の親御さんたちの手前、怒るのが苦手だった父もあのときから鬼になった。自分の息子が失敗すると自分の責任だと思われるのも嫌だったのだろう、それが過剰に作用して私だけを厳しく叱りつけることもあった。ある時どう考えても私のミスではなかったのを父は私だけを叱った。それはおかしい、今のは・・と理路整然と言っても「口答えするな!」と一喝した。 ノックの時も私だけに厳しいボールが飛び、最初はこういうものかと思っていたが段々と理不尽に感じるようになり、好きだった野球の練習するのも嫌になっていき、ついに耐えられなくなり辞めると言った。最初は父も「おまえはレギュラーなんだから、辞めると全体に迷惑がかかる」とか、「せっかくここまでやってきたんだから」と言っていたが、自分が野球が嫌いになったのは父のせいだと告げる(本当にひどいことを言った)と、父もつらい胸の内を語ってくれた。本当につらそうだった。私はやっと父の心情を理解し、野球を続けることにした。 今考えると本当に異常だった。辛かった。可哀想だった。みじめだった。それでも父は私が少年野球を卒業した後もコーチを続け、チーム最後の監督を立派に勤め上げた。私は私で中学でもレギュラーとなり、主将までやることになった。 私が初めて試合に出てライトゴロでアウトにした(少年野球ではよくある)とき、初めてホームランを打ったとき、最後の大会で二位となり優秀選手賞をもらったとき、父は本当に喜んでくれた。つらいことばかりだったが、それでもよく覚えているのはこういった報われたときだ。私が野球をすきになれたのは、間違いなく父のおかげだ。
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