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2008/04/27 23:59
東京ヴェルディは1969年に読売新聞社、よみうりランド、日本テレビの読売系3社が中心となって東京都稲城市に設立された読売サッカークラブが母体である。日本リーグ時代は特に本拠地に際しての明確な基準がなかったため、国立競技場、西が丘サッカー場、駒沢競技場などを中心に川崎市の等々力競技場でも主催試合を行った。 しかし、Jリーグ発足後は本拠地の規定が定められたが、東京都内では国立と西が丘が各チーム平等に試合が出来るようにするため本拠地としては認められていない。また、駒沢もすぐとなりに国立病院がある関係でナイター開催が不可能であるため、「やむを得ず」川崎市を本拠地とした。 とはいえ稲城市と川崎市は丁度都県境でもあり市境でもあるため、両市が連携を取ればチーム名を「京浜ヴェルディ」とすることも可能ではあった。しかし、結果的には世界一の大手新聞社(読売新聞)がバックボーンになっていること、東京へのこだわりが強かった事などから、「川崎にはゲームをするだけ」という趣が大きかったとも思える。これも20世紀日本スポーツ界の象徴・企業スポーツの名残りという面も大きかったのではないかと感じた。 また川崎には日本リーグ時代から東芝と富士通川崎、NKKが本拠地としていた。この3チームは古くから川崎市の市民参加を主眼において活動していたため、ヴェルディ(読売FC)よりも地域密着では優れていたの裏目だったのかもしれない。しかし、NKKは不況の折から本業重視ということで1993年に休部。東芝も単体ではJリーグに参入しない事や、ヴェルディと同じ本拠地では人気が取りにくいこと、更に札幌市からのラブコールがあった事もあり、1996年にコンサドーレ札幌となった。 その後、プロ化には興味を示さなかった富士通川崎が「川崎市民のサッカークラブ」を標榜し、1997年に現在の川崎フロンターレに移行。これは川崎で先輩格のヴェルディにとっても大きな脅威とされていた。そういったことがヴェルディ川崎の失敗に繋がったのではないかと見た。 現在は本拠地を調布市の味の素スタジアム(FC東京と共用)しているが、活動の主眼を稲城市に置くようになり、地域密着経営、またJリーグ100年構想に沿ってバレーボールチーム(東京教員チーム)の運営にも携わるようになったりするなど、やっと「東京ヴェルディ」らしくなった。しかし、以前から企業やだけでなく川崎市・稲城市など周辺自治体を巻き込んで活動すれば川崎市民も「グラウンドを借りるだけ」の存在でなく積極的にチームに携われたのではないだろうか。
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