2008/05/19 05:31
「笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹(いも)思ふ、別れ来ぬれば」、 「鴨山の岩ねし枕(ま)ける我をかも、知らにと妹が待ちつつあらむ」。 いずれも万葉集を代表する歌人柿本人麻呂の作じゃのう。 最初は山越えのときササの騒々しい音も耳に入らないほど 切ない別れをしてきた妻を思う胸中を吐露、 死ぬ間際に詠んだ2番目は離れて暮らす妻が 鴨山の岩を枕に寝ているのを知らずに帰りを待っているだろうの意味だぞよ。 情愛あふれる歌から人麻呂は太っていたか、 やせていたか想像できるかのう? というのも正岡子規が 「病床六尺」に弟子の歌人、伊藤左千夫と長塚節が論争したのを 書き留めたからだぞよ。 左千夫は歌が大きく、神経的やせぎすには思えず肥えている、 節は歌に悲壮感が見えるのでやせているというのじゃ。 ちなみに左千夫は肥え、節はやせており、自らの体形を重ねた主張だぞよ。 節はやせていても骨格は強く、 たくましい人だろうと付け加えたため子規は失笑するのじゃ。 うっほっほっほ 節も毎日、亜鈴を使ったりして骨格を鍛え、腕力もあったからで、 人間はどこまでも自己を標準にするらしいと、子規は述懐しておるぞよ。 どうやら言葉の表現力にもウエストサイズがあるようじゃわい。 ただし、やせているならば強い意志、肥えていれば度量の広さを感じさせ、 どちらも魅力的なのがうらやましいのう。 うっほっほっほ
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