FRAGILEの日記

「浦和・原口に箝口令」報道に対する反論 /サッカー


2009/05/07 16:26

スポーツマスコミは、自らの役割を明確にし、それを公にすべきではないか。

以下は、浦和のFW原口が監督の指示によって報道陣からの声かけに答えられなかったことを伝える記事の結びだ。

>同監督が「選手の成長のため」とする「かん口令」は、「いろいろ悩んでいる」と漏らす原口の助けになるのだろうか?

ならば、報道陣からの問いかけに答えることは「『いろいろ悩んでいる』と漏らす原口の助けになるのだろうか?」と問いたい。

17歳の原口がトップデビューを果たし、注目を浴びていることは分かる。
機会があれば、ジュニアユース、ユースと試合を観てきたファンとして、彼の活躍は喜ばしいし、その才能をもっと多くの人に知って欲しいという気持ちも確かにある。
ただ、ファンの立場として何よりも願うことは、このまま才能を伸ばして良いプレーを見せて欲しいということだ。
その意味において、上記のマスコミからの問いかけに対しては明確に監督を支持したい。

少なくとも監督はマスコミより選手に近い立場にあるし、あるべきだと考える。
中には一線を引く監督もいるかもしれないが、それは個性であるべきだ。

浦和ユースの監督のインタビュー記事を読んだが、時には選手たちの恋愛相談も受けることがあるという。
こうした多感な時期の選手には恋愛以外にも様々な思いや悩みがあるだろう。
実際、そうした悩みがプレーに影響することも少なくないという。
それに対してきちんとケアをしていくのは監督を中心としたチームスタッフであるべきだ。

そうした若手選手に対してマスコミは何ができるというのだろうか。
選手がマスコミと話すことで気分転換にでもなるというのだろうか。
それとも、チームスタッフ以上に身の上相談に載ってくれるというのだろうか。

マスコミは「知る権利」として、魅力ある選手の一挙手一投足を知りたいと願うファンにそれを伝えることが使命と言うかもしれない。
しかし、その情報を得るためにマスコミが行っている行動が選手にプレッシャーという悪い影響を与えるならば、選手の活躍を願うファンとしてはそれを支持しない。
同じマスコミ報道かもしれないが、政治家の行動を監視することとは意味が違う。

また、多少のマイナス面があったとしても新しいスターを作り出すのがマスコミの役割というかもしれない。
たしかに沈滞気味のサッカー界を盛り上げるためにスターの登場は確かに必要なことかもしれない。
ただ、スポーツ選手においてスターは作り出すものではない。

その役割を自認するならば、マスコミは作り出したスターの成功例を挙げるべきだろう。
ボクシングの亀田兄弟、卓球の福原愛、ビーチバレーの浅尾美和、いずれも実力以上の露出によってスターとなったが、実績が追いついておらず、第一人者の影を薄くしている状況にある。
サッカー選手はあえて挙げないけれど、こうした例を見るにつけ、スターはそのパフォーマンスによってのみ生み出されていくものであり、そうあるべきだという思いを強くする。

「一部のメディアが、なぜこのように早く数人の選手を煽ってしまうのか、スターにしようとするのか、私は驚いています。ドイツでのいろいろな統計を見ますと、一時的に輝いてその後にまったくプロのレベルでは活躍できなかった選手の方が、そうではない選手よりも圧倒的に多いのです」

この浦和・フィンケ監督の言葉は決してドイツが特殊なのではなく、そのまま日本でも当てはまると考える。

果たして日本のスポーツマスコミは自らの役割は何だと考えているのか。
大相撲などに見られるような不正や腐敗があれば、それを追及していくことはスポーツに対してもファンに対してもメリットのあることと言える。
しかし、ただ気に食わないことに文句を言うだけなら、ただのファン以下でしかない。
そのスポーツに対して何をすべきか、ファンは本当に何を望んでいるのか、スポーツマスコミはいま一度問い直すべきではないだろうか。

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コメント (1)

momoさん

momoさん (12)

2009/05/09 13:38

レッズのオフィシャルHPにてフィンケ監督の柏戦後のインタビュー記事を読みました。大事なことはここにすべて書かれていますね。フィンケが好きになりました。



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