ヨシ様の日記(私の行く先は、赤い着物か白い着物、それ以外ない。)

体罰は愛のムチは正論か? /社会


2008/07/03 04:17

 宮崎県知事の東国原知事の「体罰は愛のムチ」発言が宮崎で波紋を広げているそうです。

 記事の詳細が分からないのでこの一言が一人歩きしているのかも知れませんが、私としては教育において体罰は「百害あって一利なし」だと思っています。

 私も要領の悪い子で良く親や先生から怒られたり手を出されたりしましたが怒られて感謝などしたことはありません。手を出された時はその手を出されたことへの反感しか記憶にありません。

 よって今も親とは距離をとっています。5年近く連絡取っていないでしょう。今でも実家から電話があると体が震えてしまいます。別に親に怨みはないですが負のイメージのほうが強くて精神的に駄目なんですね。

 叱ると怒るの区別も分かっていない今時の大人が自分の感情で怒ったって怒った側と怒られた側で信頼関係なんか構築できるわけないじゃないですか。

 何のために人は「言葉」を持っているのでしょうか。あくまでも「言葉」で理解させることが大事だと思っています。

 手を出さざるをえないというのは自分の身が危ない時のみでそれ以外の暴力は決して正当化されてはならないと思っています。よって部活動の上級生の下級生に対する暴力なども正当化してはならないと考えます。

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コメント (12)

トトロさん

トトロさん (22)

2008/07/03 08:18

子どもが、命に関わることでふざけたり、
それを軽んじていた場合は、叩きます。
言葉では表現しつくせない場面もあります。

「体罰」と「愛のムチ」は異質のものであると思います。

しんすいさん

しんすいさん (12)

2008/07/03 08:20

宮崎県知事の発言は置いておきます。

要領の悪さでは恐らくヨシ様さんの比ではないと思われる僕ですが(笑)やはり学校でも家庭でも容赦無い体罰を喰らっていました。

ただ…口で言って分からない子供にある程度の効果があるのは自身の体験上認めざるを得ません。全てがそうだとは言いませんし、理不尽な体罰もありましたが、少なくともほとんどは体罰をする側にこちらへの愛情があったのは子供心にも理解出来ていた気がします。

あくまでも自分が経験した範囲の話ですし、周りの大人達のしっかりした愛情の下での体罰だったで納得が出来ていたんですけど。たまたまラッキーな環境だったのかもしれません。

ヨシ様さん

ヨシ様さん (84)

2008/07/03 08:24

トトロさん

叱るは相互に信頼関係がある場合、怒るは一方的な感情からくるもので、人生において大事なことを教える場合しつけとして手を出すのは吝かではないと思います。しつけと体罰の区別が大人も理解していないのが気になります。

ヨシ様さん

ヨシ様さん (84)

2008/07/03 08:33

 しんすいさん

 体罰とか言葉の暴力で私は子供の頃から鬱と戦ってきたので、どうしてもアレルギーがあるのです。

 私の中ではどうしても体罰は正当化できなかった。何のために人は「言葉」を持っているのか。

 体罰というか暴力は自己防衛のとき以外は許せないというのは小学校低学年からの考えで私自身は変わらないと思います。現に親や当時の教師とは音信不通状態です。良くスポ根もので体罰を揮うシーンがありますがああいった体育会系の理不尽な上下関係も大嫌いです。

しんすいさん

しんすいさん (12)

2008/07/03 08:42

ヨシ様さんの書いている事は非常に分かります。

自身が恵まれた環境下だった事を改めて痛感しています。

基本的には概ね同意です。

ヨシ様さん

ヨシ様さん (84)

2008/07/03 08:53

しんすいさん

体罰を肯定する側の方は恐らく今の非暴力の風潮で教育がなめられていると思っているのかもしれませんね。

これは双方言い分があってきっと平行線の議論なんでしょうね。

紅さん

紅さん (24)

2008/07/03 09:39

ヨシ様さん

 

叱るのは難しいですね。

叱る方の感情にも左右されますしね。

 

 体罰は基本的に反対です。

しかし、言葉の暴力もありますから、

言葉だけでも解決しないのではと思います。

ヨシ様さん

ヨシ様さん (84)

2008/07/03 09:44

紅さん

言葉の暴力も体罰と同じだけ人を傷つけます。

今私が鬱で休んでいるのはこの言葉の暴力によるものです。

叱るという場合双方の信頼関係がないと言われた側は反省するよりもその行為のみが頭に残るものです。また自分だって言っているかもしれない。気をつけなければいけませんね。

hourigawa_2007さん

hourigawa_2007さん (2)

2008/07/03 23:22

発言の元が私の故郷の知事さんなので
私が何をいっても説得力がありませんが、
法律や校則といった明文化されたもの以外に、
学校や職場、家族間といったそれぞれの組織で
守るべき暗黙のルールが欠如していることが
信頼関係の喪失を生み出し、その象徴として
体罰という極論が生まれてくるのではないかと
思われます。
お店で無理な注文やクレームをつけている
大人たちを見ていると、「お客さま」にも
「一社会人」として他の人たちと共存共栄するために必要最低限のマナーがあれば、あのような
口調にはならないようと思いつつ、何も注意できない自分がいたりするのではあるのですが...

ヨシ様さん

ヨシ様さん (84)

2008/07/04 01:12

 hourigawa2007さん

 綺麗に話をまとめてくださった感じです。まさにそうでしょう。

 一般的な常識やモラルにルールがなくなって歪んだ環境になっていて「力」で矯正しようとすると体罰容認論が出てくるのだと思います。

 しかし我々は「言葉」を持っています。できうる限り「言葉」で物事を解決したいものです。

サンダンス.キッドさん

サンダンス.キッドさん (14)

2008/07/04 10:12

親が子に対して責任を持たなければならないように、立場上、
上にある人が下の人の行動・結果に対しては責任をとらなければならない。
その責任への責任感を果たそうとする手法に体罰は是か否か。
一時的な感情による体罰・暴言、これはもう暴力以外の何ものでもなく論外です。
では、”愛の”という純粋な気持ちがあればどうなのか。
言葉があるかぎり、かなりの程度のカバーはできると思います。ただ、
その言葉では改善できない、されないもので、人としての尊厳を否定する、
許されるべきでない事に対しては、愛のムチも必要なのかもしれません。

ヨシ様さん

ヨシ様さん (84)

2008/07/04 15:11

サンダンス.キッドさん

これって難しい議論ですよね。体罰というか躾としてのそれが認められるのは仰るとおり「人の尊厳」「命の尊厳」にかかわる時のみ例外的なケースとして認めざるえないのかなとも思っています。



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